弁護士コラムバックナンバー

医療や医薬品のコンプライアンスと刑事制裁

上田 正和

1 医療や医薬品のコンプライアンス

 企業不祥事の発覚や予防策を語る時、「コンプライアンス」という言葉(用語)が使われる。「コンプライアンス」とは、単に法令を遵守していればよいのではなく、「社会からの要請や期待に応じた適切な活動を行うこと」を意味する。ただ、企業活動におけるコンプライアンスの実現といっても、企業を動かすのは最終的には1人1人の人間(の集団)であり、個々の行為者の意思決定や行動に対して効果的に働きかける(意思決定や行動を統制する)手段がなければ、コンプライアンスの実現は不十分である。そのための行動統制の手段として民事責任の追及が行われてきたが、刑事制裁の発動が(数は多くないものの)現実的なものとなっており、企業不祥事とコンプライアンスに関係する刑事判例も積み重ねられている。

 医療の進歩と普及により我が国は高齢化社会を迎えており、医療や医薬品や介護は「成長産業」である。医療行為を行う病院や医薬品を供給する製薬会社は、多数の人間によって組織的な活動を行うという点で、一般企業と同様であるが(製薬会社の活動は正に企業活動である。)、医療や医薬品は人間の生命や身体(健康)に直接の影響を与えるという特徴がある。そして、生命や身体への影響の中には、医療や医薬品の効果による生命や健康の保全というプラス面だけでなく、医療過誤や医薬品の欠陥ないし副作用による生命や健康に対する侵害というマイナス面があり、医療や医薬品には生命や身体に対して致命的な影響を生じさせる危険が存在する。また、病院や製薬会社は、魅力ある製品やサービスを開発し消費者にアピールしながら提供することによって企業収益の増大と企業価値の向上を目指す一般企業とは異なる面がある。さらに、特に医療については、高度の専門性とそれを支える資格者のプロフェッションとしての独立性と裁量判断という特徴があり、外部の目や批判が入りにくいという体質がある。

2 コンプライアンス実現手段としての刑事制裁

 現代社会では企業等の組織体による活動の重要性を否定できないが、組織体を動かすのは最終的には1人1人の人間(の集団)であり、個々の行為者の意思決定や行動に対して効果的に働きかける(意思決定や行動を統制する)手段がなければ、感情や思惑を有して意思決定と行動を行う生身の人間によって構成される組織体の適正な活動を十分に期待することはできない。そのための行動統制の手段として民事責任の追及が行われてきたが、刑事制裁(刑事処罰)の活用が現実的な問題となっている。

 刑事制裁(刑事処罰)は国家刑罰権の発動であり影響力が大きいが、刑事制裁には民事責任にはない特徴がある。民事法による解決では、問題とされた行為を行った特定の個人(人間)の責任(個人責任)よりも、法人の責任が問題とされることが多い。民事医療過誤事件においては、医療機関の開設者(法人)を責任追及の相手(被告)とするのが一般であり、医師個人に対する責任追及は少ない。これに対して、刑事制裁は、特別刑法の領域を除けば、生命や身体を有し意思決定と活動を行う個々の人間(行為者)に対して科されるものであり、行動統制手段としての効果は直接的である。

 コンプライアンスとは、「社会からの要請や期待に応じた適切な活動を行うこと」であるが、危険が現実社会の随所に存在する現在、安全で安心な社会を実現するために、刑事制裁の実践とその予告が有する効果、つまり、刑事制裁の対象となることを告知し各人の行動に対して危険回避(安全確保)に向けた直接的な動機付けを与え、社会の要請に適った行動準則(行動ルール)に従った行為に出ることを可能とする刑事制裁の意義と効果は大きい。特に、組織体の上位に位置する者の個人責任を刑事制裁の観点から問題にすることは、当該組織体全体の活動に対して緊張感を与える契機となる。管理過失(安全体制確立義務違反)に関する議論は、このような観点から説明することができる。

 そして、生命や身体(健康)の保全を任務とする医療や医薬品に関する組織体の一員として活動する者に対して、医療や医薬品の安全確保に向けた(刑事制裁に裏付けられた)行動準則を提示し遵守を求めることは、医療や医薬品に従事する者に対して、社会からの要請や期待に応じた活動を求めるものであり、医療や医薬品におけるコンプライアンス実現のために重要なことである。

3 医療と医薬品のコンプライアンスと刑事事件

 医療に関する刑事判例の中で、コンプライアンスという観点から説明することができるテーマとしては、①有資格者にのみ認められる(=無資格者について禁止される)医療行為とは何か、②適切な医療行為が行われるために必要な医療機関の組織体制や組織内の上位者に求められる行動準則は何か、③実施された医療行為に対する事後の対応として何が求められるのか(=何を行ってはならないのか)、をあげることができる。これらは、①医療行為に対する事前のコンプライアンス、②医療行為の実施自体に関するコンプライアンス、③医療行為に対する事後のコンプライアンス、ということができる。

 医薬品に関する刑事判例の中で、コンプライアンスという観点から説明することができるテーマとしては、①許可を受けた者のみが製造や販売を認められる(=無許可での製造や販売が禁止される)医薬品とは何か、②医薬品の適正な供給(危険を備えた医薬品の供給の禁止や回収措置)のために製薬会社等に求められる行動準則、をあげることができる。これらは、①医薬品に対する事前のコンプライアンス、②医薬品の供給に関するコンプライアンス、ということができる。医薬品の供給による危険が現実化した場合には多くの人の生命や身体に侵害を生じさせることになるので、医薬品の安全の確保は重要な問題である。

本コラム中の意見や推測にわたる部分は、執筆者の個人的見解であり、ひかり総合法律事務所を代表しての見解ではありません。
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